私の住む町には大学付属病院があり、また、こども病院もあり非常に恵まれた環境にあります。
今年の3月に長男を出産しました。3,720グラムで何の心配も無い元気な男の子でした。しかし出産後にある、新生児聴覚検査ABRを行った時「今日は良く眠っていなかったから、また3日後に・・・。」と言われ一番最後まで検査室から出てきませんでした。直感で(難聴?)と思ったことを覚えています。
3日後の検査の時には、帰ってくるのがあまりにも遅いので、検査室に呼ばれる前に迎えに行きました。すると私の赤ちゃんの枕元に赤い検査結果ファイルがあるのが見えました。
近くにいる看護師さんに何か異常があったのか?と聞くと「後で先生から お話がありますから」との事。先生が来るのを待って話を聞くと「右が40db左は70dbで反応がありましたが、要精査という結果なので、耳鼻咽喉科で難聴の専門外来がある大学付属病院に紹介状を書きます」との事。
難聴って?dbって?40に70?予備知識の無い私はそれがどんな数字なのか分かりません。
どの位聞こえていますか?と聞くのですが産婦人科のDrでは曖昧な返事しか返って来ませんでした。
病室に戻ると、赤ちゃんを目の前に涙が溢れてきました。
主人に連絡をして、病院に来てもらいました。主人・祖父母と揃って話をするのですが、私にはどうする事も出来ません。今朝までは私の宝物だった赤ちゃんですが、その時は正直リセットしたい気持ちでした。
とにかく退院したら直ぐ に大学付属病院へ行こうということになりました。生後6日目の事です。
その夜、赤ちゃんの隣で私は沢山泣きました。生まれて初めて自分の身の上に降りかかった事意外の事でこんなに泣きました。
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この子は、風の音が聞こえないのかもしれない。蛙の鳴き声は?葉っぱの擦れる音は?将来を夢見ても耳の事で諦めなくちゃならない事があるかもしれない。
私はもう世の中の音を散々聞いたから、もう思い残す事は無いから自分の耳をあげることは出来ないのかな?そー思いました。
翌日主人がJ(赤ちゃん)を迎えに来てくれ、退院しました。主人と病院の帰りに市役所にJの出生届けを出しました。翌日大学病院に行くのには保険証が必要だからです。
出生届を出す時にも、おめでとうございますと言われるのが辛かったです。
実家に帰るとお祝いのご馳走が用意されていましたが、私にはもう祝う余裕は残されてい� ��せんでした。
次の日に朝から 生後8日目で主人とともに、初めて出掛けたのは大学病院でした。
難聴外来の先生は、紹介状を見てJの耳を診察してくれました。「鼓膜は綺麗に張っていますね。お母さん心配しなくても大丈夫ですよ。」と言ってくれました。
私は、待合室で待っているときからずっと泣いていましたから、告知された時から不安に思っていたことを全部聞きました。
先生はJの耳は私の声が聞こえているからと言ってくれました。
ここにくる難聴の疑いありの新生児のうち4人に3人は難聴が無いのが現実だとの事。今後検査をしてみないとわからないとの事でした。私にしてみたら、光が見えた気がしました。
そして生後1ヶ月でもう一度ABRの検査をすることになりました。
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おそらく難聴と言っても非常に重度の方から軽度まで幅があるのだと思います。だからJの場合の40db、70dbと書けば聞こえているから大丈夫な部類に入るのでしょうが、親としては難聴=わが子を自分と違う世界に生んでしまった。そのような気がしましたし、これから先どうなるのか不安で仕方が無かったのです。
ですから1ヶ月後のABRの検査まで、私はJの前で音のする玩具であやす事も少なかったと思います。TVも耳に悪いと思って見ませんでした。友達がお祝いに来てくれましたが、心底嬉しいとか祝うとかは内心無かったです。
ただ、誰にも言えずにいました。
Jのことは可愛いのですが、周りの赤ちゃんが羨ましかったです。Jにおっぱいをあげる度に、Jの目が「ごめんね。」と言うのです。
2人きりになると泣きました。Jは日増しに可愛くなるのですが、どこかでパーフェクトでない自分の赤ちゃんがいて許せないのです。生まれるまではこうしようあーしようと思っていたことが、何もかもぶち壊しでした。
4月の終わりに1ヶ月目となり、ABRの検査をしました。
トリクロを飲ませて脳波を測� �ました。そのころまでには頻繁にこのHPで情報収集していましたので、検査のPC画面を食い入るように見ていました。どうか3人に入って欲しい・・・。
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連休を挟んで2週間後に検査の結果が出ました。
結果は右40db軽度難聴 左55db中度難聴 3人には入れなかった。もうだめだと思いました。
Drは、ここに通院している難聴児は矯正してもこれだけの聴力が出る人は少ないです。と言いましたが、私はガッカリでした。すごく期待していたのが裏切られた気分でした。
Jの場合、補聴器を使ったほうがいいのかまだハッキリしませんという答えでした。
その為にも、半年位でASSRの検査をしましょうと言う事になりました。
そのころの私の心配は、将来補聴器や人工内耳をつけなければならないのか?このままで生活していかれるのか?と言う事でした。
メガネをか� ��ている子供は良く見かけましたが、補聴器となればメガネをかけている子供に比べ圧倒的に人数は少ないわけです。
(私の気持ちを正直に書きますので、快く思わない方もいるかと思いますが許してください。)先生に言われたように、Jは裸耳でも十分音は聞こえているのです。ですがこれは親の欲ですが、出来る事なら補聴器をつけないで生活させてあげたいと思いました。4人の中の3人であって欲しかったのです。
この日、3人に入れなかった事で、また希望の光が遠くに行ってしまいました。次回の予約を入れながら知らずと涙が頬を伝いました。
聴覚支援センターの支援員の方が私の話を聞いてくれました。
彼女は、Jを可愛がっていっぱい音を聞かせていっぱい関わるように言ってくれました。音は単独で存在しない。何かから発せられるものだから、何かの原因も理解出来るように関われば、音を楽しめると・・・。興味をもつようなかかわりをして行くようにと言うのです。
何かあったら直ぐにメールでも電話でもかけてくれと言いました。本当にありがたかったです。
先日半年目の検査がありました。
結果、Jの耳は聞こえていました。正常範囲ですよとの答えが返ってきました。
Jが生まれて半年ようやくJが生まれた事を自分なりにお祝い出来た気がしました。と同時にこの半年の私の経験から、はじめ� ��要精査でも聞こえていたという体験談もあってもいいかなと思いました。
この半年、動物の鳴き声、生活音、鈴などの玩具色んな体験をさせてみました。
何度も呼びかけてみたり、見えないところで音を出してみたりもしました。
それでも毎晩Jが眠ってから、お耳を撫でながら涙がつたいました。
産婦人科で早期発見の為のスクーリングも結構ですが、その異常を告知する時に、耳鼻咽喉科のDrもしくは難聴の専門家との同席であって欲しいと思いました。
私の場合、産婦人科での訳の分からない告知が正直一番辛かったです。
まだまだ経過観察のための検査などありますが、新生児のABRの場合、そのうちに聞こえるようになるという事もあるという体験談でした。
最後になりましたが、このHPは情報収集で散々お世話になりました。
いままで無縁だった難聴を理解できました。ありがとうございました。
本当に難聴を戦っている方たちには申し訳ない内容ですが、新生児聴覚検査の結果擬似陽性で検査を重ねている方にお役に立てたらと思います。
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